芥川龍之介 「羅生門」

芥川龍之介って聞くと筋肉少女帯ばかりが思い浮かぶよ…。

ダイジョブダイジョブダイジョブダヨネェー

てな感じの個人的雑感メモ(今回はかなり丁寧!)

何番煎じだよって感じだけどね

 

 

まず初めに、個人的ポイントメモ

 

・この話には元ネタがある。元ネタだと、下人はもともと盗人

・この話では「下人」「老婆」など、登場人物の名前は一切出てない

羅生門というのはあとからついた名前で、もともとは羅城門と呼ばれてた

羅生門の位置は、丁度京と外との境界のあたり

・この話の時間帯は夕方(昼と夜との境界)

・これを23歳で書いた

 

このあたりかなー。気になり次第追記するよ

じゃあいっこずつ考えよっか

 

 

元ネタについて

・何で盗人ではなく下人にしたのか?

→正直よく分かんない!まだまだ考察が必要ですネ

下人は身分的に下で、盗人は人間的に下ってこと?いやでも盗人も十分身分的に下の人間だよなぁ

 

登場人物の名前が出ていない件について

・なんで名前をつけなかったのか

→現国の先生からの受け売りだけど、名前をつけないのは多くの場合汎用性一般性を持たせる効果があるみたい!これは名前に限らず場所でもなんでも良いみたいだけど…。つまり誰にでも起こりうる事なんですよーって言いたいって考えればいいのかな

芥川さんが何言いたいのかと繋がりそうだね!

 

羅生門って名前が後付けな件について

・じゃあもともとなんなのよ

→もとは羅城門と呼ぶのが正しいらしいです。ちなみになぜ羅生門になったのかは、「室町時代後半の1500年頃、観世小次郎信光作の謡曲の題名が「羅生門」であったことから広まったものとされています。以後、一般的にはこの「羅生門」が多く使われていたようです。」ってやほーの知恵袋に書いてあった。どこまで信じればいいのか謎だけど、とりあえず平安時代よりもあと、芥川が生まれるよりも前に羅生門って呼ばれてたって考えれば良いかな?

芥川さんは昔羅城門と呼ばれてたことは知ってたんだろうか…。知っていたとしたら、わざわざ羅生門と記述した可能性が微レ存

 

羅生門の位置と時間帯

・どうして夕方?あと羅生門の位置について

→これはまとめてやった方が分かり易いかもと思って。まず位置についてだけど、羅生門は丁度京と今日の外との境界にあります。なんか外側ど真ん中らへんにあるんだよねー・・・ちょっと口頭じゃ言いにくいねごめんね

そしてこの話の時間帯は夕方です。昼と夜との境界です。そして夕方って夜に近い時間なんだけど、人間夜の方が本質的な部分が出がちなんだそう。心の状態って時間によって違うのねー。

境界っていうのがポイントかもー。

 

芥川がこれを23歳で書いている件について

・だからなに

→これは完全に私がはああすげえ!って思ったことだよ……。いやでも普通に考えて凄いと思わない?23歳ってなにしてんのかよく分かんないけど、社会一年生とかそんなんでしょ?23歳でここまで冷めてんの?って思わない?23歳かぁー・・・そうかぁー・・・・・・。何か良い感じの匂いがしますねぇ!

時間があったら、芥川さんについてももっときちんと知りたいなぁ

 

 

 

それではここからは、個人的な考察(ちょっと雑になってくる)

 

正義とは何ぞや(うっちーの声で)

この話って正義の話してる?っていうのが第一印象。老婆が髪の毛プチプチしてたのは、老婆からすれば正義なわけよ。「だってもう死んでるんだしこれぐらいいいじゃんかよー!お前だって魚食べんだろ!?死んだモン食ってんだろ!?なんなんだアンタはよー!」っていう。んで下人は「それがいいならこれだっていいだろーがよー!俺だって死ぬんだバカヤロー!」って剥ぎ取った感じでしょ?(適当)

なんだろう、自分が死ぬより他人を殺すことを正義とみているのかな?って…。

でもそれって勇気がいることじゃん、やっぱりコワいしイヤじゃん。だから下人は勇気が出なかった!でも最後はやっちゃった!っていう?

 

「下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじ呼吸いきをするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身とうしんの毛も太る」ように感じたのである。」

「その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊ごへいがあるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死うえじにをするか盗人ぬすびとになるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片きぎれのように、勢いよく燃え上り出していたのである。」

「下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。」

 

ちょっと長いけど引用。引用部分を分かり易くするために、引用部分は灰色にしてます。この部分は、下人が髪の毛婆ちゃんを見つけたときの記述(厳密にはちょっとずれてるけど)だね!これを見ると下人は

老婆が髪の毛を抜いていること=自分が死ぬより他人を殺すこと=悪

って考えてるのかな…。

 

そして髪の毛婆ちゃんのブツブツとした逆切れっぽいあの話を聞いて

 

「下人は、太刀をさやにおさめて、その太刀のつかを左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰にきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
 『きっと、そうか。』
 老婆の話がおわると、下人はあざけるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰にきびから離して、老婆の襟上えりがみをつかみながら、噛みつくようにこう云った。
 『では、おれ引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。』」

 

となったわけだ!ここでは

老婆が髪の毛を抜いていること=死んだ魚を人間が食べること=老婆の着物を剥ぎ取ること=自分が死ぬより他人を殺すこと=正義

という式が成り立っているように見える!ぐぬぬ…。

 

更に前のメモ書きでも書いたように、人間夜の方が本質的な部分が出がちなんですよねー。下人が梯子を下りるころ、老婆の着物を剥ぎ取っているころにはもう外は真っ暗だと考えると……。最後にとった下人の行動こそがその下人の本質的な部分であると考えられそう。つまり、夕方から夜になるにかけて本質が現れてきてる。(その本質の現れ方が、悪から正義へと認識が変わったその時)

そして更に、前のメモ書きで書いたように、この物語に下人の名前はありません。それはつまり汎用性、一般性を持たせるということ……。下人は誰でも当てはまるんですよ、と考えられそう…。

これらを組み合わせて考えると、最後にとった下人の行動こそが、人間が捨てられない部分であり、本質的な部分であると言えちゃう。コワイ…今晩眠れなさそう…。

 

 

なんか 人の為と書いて偽! っていう言葉を思い出すねー…。

 

 

そして個人的謎ポイント 

 

下人はどこへ行ったのか

→①すぐ死んだ②盗人として京を徘徊③京から出た

個人的にはこのどれかなような違うような。③かなーと思ってるけどね

理由を言うとしたら、京というのは繁栄の象徴と考えられると思うから

これだけじゃわかんないから説明すると、

まず京=繁栄の象徴=下人が老婆を見つけたときの感情である「自分が死ぬより他人を殺すこと=悪」的考え方の象徴

と考える。だって他人の為に自分が死ぬ!って言えるのは、まだまだ余裕がある人だと思うよ…?本当に崖っぷちになったら、人間何よりもまず自分の命を守ろうとすると思うよ…。だからこそ、京は経済的、精神的余裕、裕福さの象徴と考えられると思う。

そして時代を考えると、当時はそんな京が衰退している時期、つまり経済的、精神的余裕が失われている時代と考えられる

下人の自分が死ぬより他人を殺すこと=悪という思考が通らなくなっている時代になりつつある(みんなギリギリだから)

そんな中で下人は見事(?)自分が死ぬより他人を殺すこと=正義という思考へ変換された訳だ、つまりその思考は(言うなら)京的思考の正反対を行く思考であるから、下人は必然的に京から離れることを選択したのではないかなー・・・っていう……

つまり下人はふっきれて京におさらば、京的思考、象徴にもおさらばしたんだろうなっていうオチ

 

うーん分かりにくい

 

 

 

 

 

とりあえずここで一旦終わる!いつまでも下書きにしてたらそのまま永久に書かなさそうだし!とりあえずなんとなーくまとまってきたかな!